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おいしいパンケーキの食べ方 お題:パンケーキの作り方 (Res:1)

1 名前: お題:パンケーキの作り方 投稿日:2011/02/21(月) 17:49 ID:TdkdRyys
おいしいパンケーキの食べ方


 辛いとき、わたしはよく雨宮零下を思い出す。艶やかな黒髪を肩まで伸ばした、わたしにはもったいなほどの美少女だった。
「私ね、パティシエになりたいの」彼女はよく、そんなことを言っていた。「おいしいお菓子を食べられるって、すごく幸せでしょ?」
 そうわたしに言いながら、小首を傾げてみせる。
「そうかな」
 わたしは答える。読みかけの文庫に目を落としながら、とても面倒くさそうに。本当はわたしもお菓子が大好きだったし、行きつけの喫茶店でパンケーキを食べるときなどは身の毛が逆立つほどの幸福を感じるクチなのだが、その頃わたしは彼女の自己主張の強さに閉口していて、素直に同意して笑顔をみせるのは癪だった。
「ぼくもお菓子は嫌いじゃないが、そこまで感じたことはないね」
「それはね、たぶんあなたが本当においしいお菓子を食べたことがないからよ」
「価値観の違いだね」
 そう言うとわたしは文庫を閉じた。やれやれ、という顔をしてみせる。
「違うわよ、そんな話じゃない」
 零下は哀れむように言う。「食べれば判る、本当においしいお菓子を、本当においしい食べ方でクチにすればね。こんな幸せなこと、他にないわ」
「そこまで言うなら」わたしは微笑んだ。「ぼくに食べさせてよ、本当においしいお菓子ってやつをさ」
 何が好きかと聞かれたので、わたしはパンケーキだと即答した。

 ハローワークの職員というのはどうしてああも傲慢なのだろう。本当に、不愉快だ。
 平日の真っ昼間から、わたしは公園で缶ビールを呷る。持ち金はとうに底をついている。その日の飯にも困っていたので酒など買う余裕はないのだが、これくらいの楽しみがないとやっていられない。財布の中にはもう紙幣は入っていなかった。ビールが飲めるのも、今日で最後かもしれない。涙が出た。保証人なし、住所なしの高卒など、どこも雇ってはくれなかった。
 明日は見つかるだろうか、ぼんやり考えながら缶ををゴミ箱に投げ捨てる。遠くで子供の声がする。楽しそうだな、人の気も知らないで。そう心の中でつぶやきながらわたしはベンチから立ち上がった。帰る家はない。安アパートからはとうに追い出されていたし、両親からは縁を切られた。一度実家に押しかけてみたが、親父に殴られ母からは包丁を投げつけられた。
 どうしてこうなってしまったのか。実のところ、自分でもよく判らない。センター試験の当日、わたしは試験会場で体調を崩した。そうならないよう、ちゃんと体調管理はしていたつもりだった。試験中にわたしは胃液を吐き出してしまい、気がついたときには救急車に乗せられていた。
 急性食中毒、ということらしい。特におかしなものを食べた記憶はなかった。行きすがら買ったコンビニ弁当が悪かったのだろうか。両親は泣いていた。だからあれほど体調に気をつけろといったのに、頬を叩かれ罵られた。
 雨宮は、見舞いにきてくれなかった。一緒にがんばろうね、そう言ってくれたのに。見捨てられた、それともただ時間が取れないのだろうか。考えてみれば二次試験も近いのだ。これなくても無理はないか。
「私、絶対合格する」試験の合間の休憩時間、彼女はおいそうに菓子パンを食べながら、いつものように小首を傾げて言っていた。
「がんばれよ」
 静かな夜の病室で、わたしの独り言が響く。数日後、わたしは退院した。

「勘当だ」
 親父が言った。
 ただいまと言いながら、靴を脱いでいると親父にいきなり殴られ、そのまま居間まで引きずられてそう宣言されたのだ。
「なんだよ、いきなり」わたしは抗議する。「そりゃあ受験は失敗したけど、あんまりにも酷すぎる」
 腹を蹴られる。
「お前、雨宮さんを孕ませたらしいな」寝耳に水だ。
「何の話だよ」
「雨宮さん、泣いてたぞ」胸ぐらを捕まれる。横目で母親を見ると、顔を強ばらせて涙を流していた。母のあんな顔は初めて見た。
「昨日うちにきてな、泣きながら話していったよ。堕ろしたそうだ」
 たしかにわたしは彼女と寝たことはあったのだけれど、無責任に防具なしで彼女を貪った覚えはない。
「言い訳か」親父は吐き捨てる。「卒業式が済んだら出て行け。お前みたいな屑、殺してやりたいくらいだ」

 雨宮に連絡を取ろうとしたが、携帯電話がつながらない。自由登校にになってから学校にもこなくなっていたようだった。うちに押しかけようかとも思ったが、流石に憚られて、結局卒業式の日にようやく話すことができた。
「どういうことだよ」わたしは詰め寄る。「妊娠した? 堕ろした? 初めて聞いたぞ」
「本当よ」
 彼女は言う。わたしに汚物を見るような視線をくれる。
「なんで教えてくれないんだ。その癖突然うちに押しかけて悪者扱いか、何だよそれ」
「近寄らないで、息が臭い」彼女は大げさに後ずさる。「もうあなたとは話したくない」
「そんな、勝手な」
「勝手? 孕ませておいてよく言うわ」彼女は鼻で笑った。「さよなら。屑みたいな人生、せいぜい味わいなさい」
 雨宮はそう吐き捨てて、帰ってしまった。わたしは自責と自己弁護が心中で交互に渦巻き、胃液を吐くことしかできなかった。吐きながら、結局彼女にパンケーキを食べさせて貰っていなかったな、そうぼんやり考えていた。その日以来彼女を見ていない。わたしはその日家を叩きだされ、手切れ金の封筒を握りしめながら見つけておいた安アパートで泥のように眠った。

 当てもなく散歩をして、結局また先ほどのベンチに戻ってきた。近頃はここで夜を明かしている。インターネットカフェに泊まるほどの金もない。ベンチに腰掛けてぼうっと空を眺めた。もう夕暮れ時で、山吹色の太陽がわたしを嘲笑っていた。
「こんにちは、それとももう、こんばんは、かな」
 声のした方を向くと、きれいな女性が立っていた。
「きみは、雨宮か?」わたしはゆっくりと立ち上がる。「雨宮零下さん」
「そういうきみは──君」雨宮は、小首を傾げた。「酷い格好」
「誰のせいだと・・・・・・」
「仕事してるの?」
「探してるよ」
 彼女との再会は、内心泣き出したいほど嬉しかったのだが、わたしはわざとそっけなく答える。
「いまさら何だ? 嗤いにきたのか」
「うん。どんな屑みたいな人生なのかなって」
「ご期待には添えたかな」
「軽口を言うだけの余裕はあるのね」彼女はまた、小首を傾げる。「早く死ねばいいのに」
 何だよ、それ。
「言葉通りよ。死んでくれればいいなあって思っただけ」
 彼女は微笑んだ。
「死ねばいいのはお前だ!」
 わたしは頭が真っ白になった。何なんだこの女は。死ねばいい? どの口がほざく。一方的に被害者面しやがって。殺してやろうか!
 そんな怒りは、すぐに萎んでしまった。頭の中では怒っていい、怒るべきだと判っているのだけど、圧倒的な惨めさがわたしの心を押しつぶした。
「あなたみたいなさ、生ゴミは早く消えるべきだよ」
 とても楽しそうに彼女はわたしを罵倒する。
 わたしは、子供のように泣いた。涙が溢れて前が見えなくなったとき、彼女が私の顎をつかみ、わたしにの口に無理矢理何かをねじ込んだ。
 甘い。
「おいしい?」
 彼女は聞く。いつものように小首を傾げて。わたしは泣き止んでいた。
「・・・・・・おいしい。とっても」
 歯にこびり付いたパンケーキを舐めとる。おいしい、本当に。気がつくと、わたしは射精していた。
 幸せだ、そう思った。
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